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第6章:人のせいばかり・自分のせいばかり│憤りとは?

2015年5月28日 Category:メソッド

※出来るだけ最初から順番にお読みください。

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A:いつも上手くいかないと、【相手が悪い・会社が悪い・仕事が悪い・時代が悪い・世代が違う・常識が違う】気が付くとそうして、いつも人(何か)のせいにしてしまい、冷静になった時に自己嫌悪してしまう。

B:逆に何らかの問題が起きた時や、物事が上手くいかない時に、【自分が悪い・自分ができないから・自分のせいで他の人達は幸せになれない】と、自分を責めてしまう。

こうして、いつまでも抜ける先がないトンネルにいるような、窮屈な感覚に陥ることはないでしょうか?

第1~4章は自分の認知とそこに現れる行動・選択の性質について、第5章は6回に渡り、認知と行動・選択がズレやすくなる特性や、認知に起こる状態をご案内してきました。

人は自分の欲求に対して、それぞれの認知を持ち、そこから自分で選択をして行動を決めています。その選択や行動によって、対人関係や社会的生活で上手く行かなくなる時の多くは、実際の行動・選択が欲求に対してズレていた時に起こるものです。

自分はどう感じていたのか

どうしてそう感じたのか

なぜ、その行動を選択したのか

これらを見つめる事は、行動・選択と欲求のズレを見極めることとなり、同時に解決策も見えることが多くなるので、これらを見つめるだけでも一気に楽になることがあります。

しかし、これらを見つめようとする際に、欲求を著しく見つけにくくしたり、実際と歪ませてしまうパターンがあります。冒頭のAとBがループするタイプも、このパターンの一部だと考えると、急に生きづらさから抜け出せることがあるようです。

今回は人の欲求から生まれ、しかし、欲求自体を見えにくくしてしまう事がある【憤り】についてご案内します。

【怒り】と【憤り】の違い

言葉の定義として違いを表すと、【怒り】はその相手や因果関係がハッキリしていて、ぶつかる
相手がある状態。【憤り】は思い通りにいかない事に対する、不満やマイナスな感情の蓄積で、不条理・自己矛盾など言葉にすらしづらい状態と表現できます。

自分の意志であるなしに限らず、欲求と行動・選択がズレた場合に【憤り】が起こり、相手や物事に因果関係があった場合は怒りとして表出します。

【怒り】には因果関係がある分、自分で何かしらの決着や収まりを見つけることが出来ますが、【憤り】は自分の中にある欲求そのものとの関係なので、そこに決着がつかない限りいつでも再燃しますし、状況に大きく左右されてしまいます。

人のせい

しかし、相手や物事に責任の所存や因果関係がないにも関わらず、何らかのせいにしてしまう事があります。これが自分以外に向けばA、自分に向ける形をとればBとなります。

Aの場合、失敗や思い通りにならない事に憤りを重ね、しかし責任の対象が見当たらず、手がかりは薄ぼんやりと自分の欲求(欲求そのものだとは気がついていない事の方が多い)に感じ、その責から逃れるために状況を制御する欲求に駆られています。

この制御欲求は第4章でも触れましたが、これは自身が過去に学習から生み出した選択です。

例えば欲求通りに動いてくれない親に、憤りを怒りとしてぶつける形に選択すれば、困った親が欲求を叶えたり共感しようとしてくれた経験(問題への直接的なコントロール)。

例えば物事に欲求通りの結果が得られず、さらに評価を他人にしてもらう事に傾倒しているタイプの場合。失敗や不安に対し、自己評価だけは守ろうと、状況や道具などのせいにすることで、他者からの弁護・保護を受け責を逃れた経験(問題自体ではなく、そこに関わる責任から逃れるためのコントロール)。

脳の処理は優秀なもので、いかに知性が伸びようと知識が増えていこうと、こうして労力が小さく効果を生み出せる方法を学習すれば、そこを選択しようとするものです。この選択は大抵の場合幼いころに完成することが多いので、大人になるとその理論は思いもつかないほど短絡的で、自分のことなのに全くの予想外な思考だったりします。

こうした自己矛盾をもはらんだ幼いころの選択は、それが単に選択だったとは思わないため、【理由が分からないもの】として不安と同系統の処理をしてしまうことがあります。

─── だからこそ余計に触れようとはしないし、触れることはとてつもなく根本的問題で人生を揺るがすことになりかねない、大きな問題に手を出すようなものだと錯覚をしてしまうのです。

幼いころの事だったりするので、しっかりと思い出せることはないかもしれませんが、第1~4章にある技法で認知や欲求、そして行動・選択の理由を見つけながら、【自分の子供時代だったら、こういう風に相手のコントロールを望んだだろう】と想定してみてください。

これは正確である必要はありません。

問題を前にした時、周囲や状況をコントロールしようとする理由に納得がもてれば良いのです。そうすると自分の生み出した選択に従い、状況の改善を試みていただけのことで、実際はただただ人のせいにするという行動は、人間性の問題ではなかったことが分かるかと思います。

行動・選択と欲求の因果関係が、分からないからこそ起きていた、小さなパニックや思考のループだと考えると向き合いやすくなります。

自分のせい

Bの様に【憤り】や問題を、すぐに自分のせいにしてしまうタイプも、単に弱気だとか内気だとか言う類の人間性の問題ではありません。

Aの場合は他のせいにする形で、状況のコントロールを試みていたわけですが、Bの場合は自分の責だと決定し、そこを責めることで【問題との関わり方をコントロール】しています。

ここには第5章-Ⅱの両極思考や、アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)などの一部の発達障害や、パーソナリティ障害などの一部の精神障害の方が持つ、【他者との境界線が曖昧】という特性が絡む場合もあります。

他者との境界線が曖昧だったり、問題の前後が掴みにくい表面思考などの特性がある場合は、単純に責任に気を取られ集中することで極大化してしまったり、どこまでが自分の負うべき責任か分からなくなり、【責任の個人化】が起きているケースが主になります。

しかし、そういった障害のない方でも、精神状態や環境によって『自分のせい』にすることで、問題との関わり方をコントロールすることがあります。

【問題との関わり方をコントロールする】というのは、Aの場合と同じく、行動・選択と欲求の因果関係が把握できないことで起こるパニックと、仕組みは同じではないでしょうか。

分からない事で膨らむ不安を、そのまま受け流すというのは、時に非常に難しいテクニックになります。分からない事への不安を感じた場合、その制御できない憤りを外に向けるか、内側に向けるかでABは分かれています。

Aの場合は行動・選択が直接的に解決の方向性に向かっています(解決するかは別だが)。Bの場合は制御できない問題そのものにではなく、【上手く立ち回れない自分を責める】という行動でバランスを取ろうとする制御であることが考えられます。

境界線や表面思考などの特性が主で、これらの制御欲求が絡んできている場合もあるかと思います。そういう場合もやはり、自分がなぜそうした行動・選択に至っているかを、認知の面から理解することで、立ち向かう方法の範囲は絞られてくると思います。

憤りの解消

憤りは欲求が満たされないことで起こるとしていますが、全ての欲求の不満が憤りになるとは限りません。感じている憤りが小さくて、認識できない場合もあるかもしれませんが、それらは結局どこかに消えていってしまうものです。

そういう他愛のない葛藤が消化されるパターンとして、『~~だから、まあいいか』とか『~~だし、仕方がない』と、抑止の理由に納得がいった時が挙げられます。

よく、こうした憤りなどの過去に関わる、感情の問題などの捉え方に対し、【ここまでは我慢した。私だって人間なのだから、これ以上嫌なことを我慢しろというのは耐えられない】と答える方がいます。

……それは辛いはずです。

認知とそこに関わる行動・選択の視点で、憤りに対峙するということは【我慢】や【気を紛らわす】事ではありません。憤りに絡む自分の欲求がどこから来ているかが分からなければ、単に憤りや怒りに対し、人間性だけで応じなければならなくなるからです。

しかも、憤りが起こる時は、欲求に対して純粋にそれを求める欲求だけとは限りません。憤りが蓄積されるまで発展する場合は、純粋な欲求以外の何らかの問題やコントロール(制御欲求)が関わる時です。

例えば夫婦間でコミュニケーションや、愛情表現への不満に関する問題が起きたとして、【夫婦はこうするものなはず】と【そういうのがよく分からない】という意見の対立になることがよくあります。
この対立がこじれている場合は、相当に大きなぶつかり合いが起こるか、劇的な環境の変化などが起きない限り平行線をたどります。

【夫婦はこうするものなはず】にはコントロール欲求が強く、自身の考えるコミュニケーションの形式で相手が答えてくれることで、安心欲求を満たしたいという流れがあります(~~って言葉で愛を感じたい……など)。場合によってはそれを試すように、どうして欲しいかの欲求を伝えることはせず、理解を望む場合もあるでしょう。

【そういうのがよく分からない】には現実的に“どうしたい”などの明確な理想像はなく、またそこに決定することに無理が生じることで、その関係がこじれることを忌むなど、消極的でありながら関係維持のための欲求も含まれているケースもあります。葛藤が生まれやすくなるため、【一緒にいられるだけで幸せだ】などの、言い得て妙な返答が出来るほどの余裕が持てなくなる場合もあります(大抵はそのまま、“なんて言えばいいのか分からない”までの理解で止まっている)。

こうして並べてみると、平行線をたどる理由も見えてくるのではないでしょうか?

もし、【夫婦はこうするものなはず】に合わせた場合、それは無理があったり強制的な体を感じさせるかもしれません。そういった抵抗を感じなくても、新たな葛藤が生まれるでしょう。

『心にもない言葉を掛けていいのか?・いや、この考え自体、口にすれば“心にも思ったことがない”ということなってしまう……』と。

逆に【そういうのがよく分からない】に合わせた場合、やはり愛情を感じられないと思ったり、欲求が満たされないことでの不安感が起こります。そして、やはり新たな葛藤が生まれるでしょう。

『こちらから言わない限り言おうとしないのなら、それはそういう気持ちがないってことなんじゃないか? これを口にして尋ねるのは強制になるのでは? しかし、言わなければモヤモヤはとれない……』

結局、我慢ではなんの解決にもなりませんし、対人関係で欲求を通すには相手の理解が必要で、そこにコントロールを挟めば問題が起こりやすくなるということです。

極端に言ってしまえば、自分が我慢をしたくないとして、自分の行動・選択を変えず、欲求を叶えるということは相手に我慢をさせている状態です。

しかし、先に挙げた夫婦問題の例のように、お互いの心の動きが分かっていたら、欲求を阻む『分からない不安』の壁は薄くなり、納得しやすい状態が整いやすいのではないでしょうか。

憤りの解消は、欲求を叶えることだけではありませんし、我慢をすることでもありません。納得し、また違うアプローチを模索することが、一方的な憤りを蓄積させない事が最もリスクの少ない方法です。

そのためには

自分の欲求はなんなのか?

どうしてそうしたいのか?

関わる人にはどう動いて欲しいと望むのか?

そこにコントロール欲求はおきていないか?

といった、認知のあり方や行動・選択を見つめることが、『分からない不安』も抑えながら、憤りを受け流すための交通整理となります。

【人のせい・自分だけのせい】も人間性や性格で起こしていたのではなく、自分の欲求と行動・選択がズレていたりなど、欲求に対してまっすぐ向き合うのが難しくなっていただけなのかもしれません。

次回は、動揺・混乱が起こっている時に起こる、『不安からのメモリ不足』でどういう事が起こりやすいかをご案内します。
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    心労と過労、カサンドラ状態に陥り3度倒れ、一時はうつ状態に。 ところがどっこい完治なタフガイ。

    家族のASDについて学びながら、独自に心理学を楽しんでいる。

    ASDについてはこちらのサイトでまとめています。
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